夕香がそんなことになってしまった頃、月夜は違う所にいた。藺藤一族所有の蔵の中で
閉じ込められていたというのが本当だろう。
 湯殿に入り、上がったところを待ち伏せていた一族の者に捕らえられた。やってしまっ
たが、体も本調子ではないために何も抵抗できずにそこまで連れてこられた。
「出しやがれ、クソ爺!」
 上半身裸で地下の牢に手枷をはめられなにやら喚きながら暴れていた。手首がかなり擦
り切れている。
「……天狐がつかまったようだな。ほう、しからば、大事な宗家殿を屋敷にお連れせい。
丁重に行くのだぞ」
 黒子が月夜を取り囲む。月夜の上半身には霊力を封じる印を描かれ実質普通の人並みの
力しか出せなくなっていた。それほど彼らにとって月夜の力が強いしるしだ。
「放せッ!」
 抵抗するが複数いる黒子に力負けするのが落ちだ。月夜はこれ以上もがいても無駄だと
判断して舌打ちをした。中指には水神の加護のある指輪が光っている。これがあればどう
にかなる。徒人には触れることも本人でもとることは敵わない。それに、力は月夜を軸と
していない。あくまでも神の力。水神沼を暴かなければこの指輪の力が尽きる事も封じる
事も敵わないだろう。それが、月夜の頭にある勝算だった。
「大人しく」
「分かっている。貴様等に言われずとも」
 相手を油断させるのが必要だ。月夜は努めて言い放った。本当は捕まえられた天狐を確
認したい。まさかと思うがそれはないのだろう。そこまで馬鹿だと思いたくないが予感が
訴えている。
「蒼華でなければいいが」
 その呟きは乗せられた輿の中で空しく響いた。と、黒子の一人が月夜の手枷を丁重に取
り外し一礼して扉を閉めた。
 しばらくして腰が持ち上げられたのだろう。揺れ始めてふっと、自分がが上半身裸なの
に気づいて一つくしゃみをした。
「寒い。衣を持ち合わせていないのか」
 そう言うと、しばらくして狩衣を輿の中に入れられた。それを座ったまま器用に着付け
ると輿の壁に背を預けた。そして、目を閉じて精神を集中させてみる。いくら霊力を封じ
られていても彼女に繋がる糸は切れないだろう。それで聞けばいい。
〈夕香、聞こえるか?〉
 応答を待つ。繋がっている感じはする。寝ているのだろうか。
〈月夜、どこにいるの?〉
 そう応答があった。とりあえず外部への通信手段があって安心する。
〈俺は、一族の者に囚われていて本家に向かっている。お前は?〉
〈へましちゃった。多分、そっちの一族に捕らえられた。予想的中?〉
〈へらへらするな。嵐とかに通信できないだろう。阿呆狐〉
〈アホ狐言わないでよ〉
 とりあえず嫌味に反論する余裕はあるようだ。夕香の意識に繋いで夕香が見ている風景
を見ておおよそどこにいるかを判断した。
〈蔵の牢だな。霊力封じられているのか?〉
〈お陰ででかい図体で狭い牢に入れられてるよ。あ、そうそう、隣に昌也さんいるから〉
 その言葉にピクリと眉を動かす。誰も見ていないといえどもこれ以上反応を見せたら危
ないかもしれない。目を閉じてその声に耳を傾ける。
〈そうか、やっぱりつかまってたか。状態は?〉
〈いたって普通。昌也さんも霊力封じられて白沢が出せないって嘆いてるけど、大丈夫で
しょう。毒の匂いもしないし〉
〈そうか。じゃあ、伝えておいてくれ、何簡単に捕まってやがんだ馬鹿兄貴。顔合わせた
らまず殴るって〉
〈自分の口で伝えなさいよ〉
〈お前にも言えることだからな〉
〈じゃああんたは……〉
 そこまで言って月夜の状態を思い出したらしい。今の月夜の状態では抵抗することは難
しいだろう。夕香は拗ねたように鼻を鳴らした。
〈そう言う事だ。じゃあな〉
 そう言うと精神集中を解いた。額には汗が滲んでいる。視界が白っぽく霞んできている。
まずいかもしれない。
 ドクンと胸の奥から息を呑むほどの衝撃が伝わってきた。目を見開いて胸に手を当てる
と霊力のかわりに何かが体を流れ始めた。指先が熱を帯び始める。直感的に月夜はまずい
とその力を押さえつけて目を閉じた。
 いま、自分の体の中で自分が知らない力が溢れ出している。霊力が流れない代償だろう。
それは、犬神の妖力とはまた違い霊力でもなくて、強いて言うなれば夕香の神気、天狐の
神気にも似た不思議な感覚を働かされる力だ。無論、思い当たる事などまったくない。水
神の神気が体の中に流れ始めたのであれば分かるはずだ。
 そんな事を考えているうちに輿の揺れが収まった。外に出るように促され出ると、懐か
しい風景が広がっていた。
 寝殿造りの大きい屋敷にその庭にある白砂の箒目、冬に映り行く木々の茶色。そこだけ、
時代の流れが違うようにも思えた。恐らく夕香がいる蔵は月夜の背を十二時にしてみると
七時の方向から八時の方向にあるところだろう。抜け出せればいいがと思ったが無理だろ
う。父と子でかなりの逃走劇を繰り返した。彼らも油断してはくれないだろう。
 月夜は取り合えず寝殿に入り北の対に通されそのときを待った。



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